震災から1年2ヶ月経った今も、未だ電気の復旧の見通しが立っていない石巻市尾崎地区。北上川の河口に広がるこの地区は一帯が地盤沈下しており、多くが水没し半壊の家屋が残っています。つながり・ぬくもりプロジェクトでは、これまでも地区の数カ所に太陽光パネルを設置しており、家の片付けや生業の漁を行う地域の人たちに、街灯や家の電源等として使われています。
この日は、地区唯一の造船所に、約2.7kWの太陽光パネルを設置しました。尾崎地区も含め、三陸海岸は入り組んだ狭い湾一つ一つにそれぞれ小さな集落が形成され、沿岸漁業や養殖等が営まれています。その中で地域の造船所は貴重な存在で、漁船の修理等を行う造船所の再建は地域の人に待望されていました。地域の人は大きな造船所で作った自分の船を地域の造船所で使いやすいように加工するそうです。
尾崎地区は牡蠣の養殖が盛んで、東京等でもブランド牡蠣として知られているとのこと。「新宿でここ産のカキフライを食べたことがある」と、この日参加されたボランティアのお一人も仰っていました。
5月1日から、自然エネルギー事業協同組合レクスタ/ソーラーワールドの武内さん中心に、パネルを載せる架台と96個のバッテリー等の設置作業を行い、この日はパネルの設置を行いました。13時頃、千葉商科大学の鮎川ゼミの学生20名ほどが到着しました。暴風雨とGWの渋滞で道中13時間ほどかかったとのことですが、早速作業に加わり、若者パワーを発揮してくれました。まずは架台の足場を砂利で埋め、その後パネルを一枚一枚はめていきます。パネルの裏側では、レクスタの桜井さんと小針さんが慣れた手つきで導線をつないでいきます。横浜から参加されたボランティアの方もテキパキ作業をこなしてくれました。
造船所の主・三條さんは、津波で自宅が被災し、今は仮設住宅に暮らしています。しかし、震災前後に入った船の修理等の依頼を行うため、家の倉庫を造船所代わりに作業を行っています。電源はレンタルでバッテリーを借りているそうですが、燃料代が月々かなりの金額に上っているそう。「どうなるかと思ったけど電気のプロの方が来てくれたからね、まずうれしいね」と話をしてくださいました。
15時頃パネルの設置が完了し、いよいよ電源のスイッチを入れます。電源を入れるのは造船所の主・三條さん。クレーンが無事に動き出し、三條さんのお顔にパーッと明るい笑顔が広がりました。1年2ヶ月ぶりに造船所内に動力の音が響き渡ります。
最後に参加した皆で写真を撮りました。三條さん、千葉商科大学の鮎川先生と学生さん、つながり・ぬくもりプロジェクトメンバー、ボランティアで参加してくださった皆さん、そして地域の漁師の神山さんとこの地域で生まれ育った齢28歳の三條さん。
三條さんは東京で美容師として働いていましたが、震災後に石巻に戻り、今月石巻市内に美容院を開店するとのことです。今は仮設住宅に暮らす人たちのヘアカットをボランティアで行っているそうで、仮設住宅に暮らす地域の婆ちゃん、爺ちゃんの声を伝えてくれました。
電気もそして水も未だ復旧しておらず復旧の見通しも立っていない尾崎地区。いったんついた道路を舗装する予算も見送られ、地域の復旧の歩みは遅々として進んでいないようにも見えます。プロジェクトでは、今後も地域の女性たちが作業を行う漁師小屋などに、太陽光パネルの支援を行う予定です。
帰り際、新芽が萌える里山を背景に、漁師さんが長面湾に小さな船をいくつも浮かべていました。
以下は、参加してくれた千葉商科大学の学生さんの感想です。
<ソーラーパネル設置作業>
・地盤を固める作業から始め、4時間以上かけ、やっと電気がつき、クレーンが動いた時、感動した。皆の拍手と歓声に、歓びを感じ、作業してよかったと思った。
・無電力造船所の電力が通った時は感動した。皆で一緒に達成したという事実は変わらずに心の中に刻まれている。
・私たちが手伝ったのはほんの3時間ほどで、あまり力になれなかった気がして悔しかった。もっともっと力になりたかった。クレーンが動いた瞬間、感動した。自然と涙が出てきた。
・私たちはほんのわずか、簡単な作業しかしていませんが、逆に感動と勇気をもらうことができた。
・自分たちはボランティアとして復興の作業の手伝いに行ったのに、地元の人々の元気に自分たちが元気づけられた気がした。
・自分たちのような若い人材が行動していかなければ早期復興はないと思った。
<大川小学校とその周辺>
・被災地の現状や被災した小学校などリアルに見に行かないとわからないことや伝わらないことを知ることができた。
・自分の目で現地の状況を見て、今回の震災の凄惨さを改めて確認でき、大川小学校の被災の話を聞いたときは、こみ上げるものがあった。胸が苦しくなった。
・造船所へ向かう道には壊れた学校や沈んだ民家などがそのままになっているのを目にし、いまだにこんな状況になっているとは思わず、そしてそれを間近で見たことがとても印象に残った。テレビでしか見たことのない、ガレキの山や家が津波にやられ崩壊していたところに驚いた。そこは湖のようだったが、被災までは町があったなんて信じられなかった。そうした津波で崩れた家やがれきの山の光景はテレビで見るよりも衝撃的だった。
・被災地の被害状況がまだ残っていて、この津波で亡くなった方のことを思うと辛かった。心が痛んだ。
・被災地の状況を実際に行ってみることにより、テレビで見るだけでは感じられなかった悲しみを背負うことになった。大川小学校は今回の地震の恐ろしさを物語っていた。
<被災地の皆様に励まされた>
・被災地はまだあまり復興が進んでいない。しかし被災地の方々は明るく前向きで未来へ進もうとしていた。本当に自分が悩んでいることが、ちっぽけなことに思え、一日一日を大切に生きなければいけないと感じた。ボランティアをしに行ったのに、逆に自分の心が救われた気がして、精神的に強くなれた。
・被災しながらもたくましく生きている皆さんを見て私たちも精いっぱい生きようと思い、できればまたボランティア活動に行きたい。
・自分よりもずっと辛いはずの被災地の方々はとても強く、前に進む力がすごかった。
・被災地の人たちが復興のために一生懸命頑張っている姿に感動した。
2012年5月10日
千葉商科大学 政策情報学部 鮎川ゼミ一同
文責(鮎川ゆりか)