【大川小学校】
舗装された道路から橋の脇を降りると、一帯は整地中の工事現場のよう。土と、これでもずいぶん片付けられたのだと思うが、がれきの山、そして右手前方に壊れた大川小学校の建物。
その入り口に慰霊碑があり、それを照らすソーラー街灯(※)が両側に設置されていました。
「ぜひ、この被害の様子を見ていってほしい、手を合わせてほしい」とタクシーの運転手はお客をここに連れてくるといいます。私たちがいたときもタクシーで乗り付ける人が絶えませんでした。身内の方はそういった煩わしい昼間は避け、夜にここを訪れるそうです。
舗装された道路からは2、300mほどしか離れていないが、道路もないので電柱もなく、明かりもない。ここに設置を決めた設置チームの作業日誌を思い出し、掌を合わせました。
【尾崎地区】
北上川沿いの大川小学校を越えて、さらに河口へと向かう道は1車線の仮設道路。両側は水没した地域が延々と続き、地盤沈下もあって水面が異常に近い。
手前のほんの少しの地域はがれきを撤去し、土を盛ってはいるが、先に進むと手つかずの家並みが延々と続く。
その先にある長面浦を渡る小さな仮設の橋。その先が尾崎地区。橋を渡りきったところにひとつ、ソーラー街灯(※)がありました。
長面浦は、牡蠣の養殖が盛んで、釣りのスポットとしても人気だったそう。
目立つがれきはなくなり、浸水への対策が少しは取られた今も満潮時には道路に水がついていました。
電柱を立てることができれば、1日でここまで電気を通す工事はできるが、途中の手つかずの水没地域に盛り土がされ、仮設ではない道路が通って初めて電柱が立てられる。それが3年後になるのか、5年後になるのか。一生無理だという声もありました。
■橋を渡って右手に行くと、宮城県農林漁家民宿第1号「のんびり村」がありました。こちらにも太陽光パネル(※)がありました。また、一帯の電柱に、ボランティアの手によりソーラーランタンがとりつけられていました。
私たちがうかがった時には家のリフォームも済み、週の半分はこちらに戻ってきているとのこと。家の明かりに使っていて助かってるのよ、とスイッチを入れてみせてくれました。あとは冷蔵庫が使えるくらいの電気があればいいのだけれど、と奥さんがおっしゃっていました。
「のんびり村」
http://chubu.yomiuri.co.jp/tokushu/zoomup/zoomup110926_1.htm
http://www.youtube.com/watch?v=aJgmFWBauWc
■牡蠣の養殖をやっていた漁師のOさんにお話をうかがう事ができました。Oさんのお宅にも太陽光パネル(※)がありました。
Oさん宅の前の道路は、満潮時には水がついて通れないものの自宅の2階は使えるのでそこで住もうと思っており、ボランティアに頼まず自力で泥だしや片付けをしたと言います。
『漁師なので朝は早く、今、自宅の片付けに来るのも毎日朝2時か3時。
石巻の仮設住宅から車で尾崎を目指してくると、自分の家のところに唯一太陽光パネルで灯った明かりがぽつんと見える。
それを目印に通っている間に、明かりがある、というのはすごいもので、ここで暮らせるんじゃないかという気持ちが大きくなってくる。
自宅の2階は十分住める。船も流されたが奇跡的に残った。水も、地区にあった井戸の中で、2つだけ塩の入らなかった井戸がある。
ここを離れると言っていた同じ集落の人も、その様子を見てて気持ちが変わってくる人もいる。自分の息子も勤めを辞めていずれ後を継ぎ、ここで漁師になると言いだした。この隣の家も、ここに住もうかどうしようかと言っている』
明かりがあるっていうのは、誰かがいるという事。明かりがあるというのは本当に大事な事だと何度もおっしゃっていました。太陽光パネルの電気で、テレビもつけてみたら見られたんだよ、と。
『長面浦と太平洋をつなぐ水道に砂が堆積して、今までは水の流れが悪く、太平洋の満潮より1時間くらい遅れて長面浦に満潮が来ていた。県に水道を掘ってくれるよう要請をしていたが、実現の見通しはなかった。
でも津波は40分くらいでそこを掘ってしまい、今は長面浦にも太平洋と同じ時間に満潮がやってくるようになった。悪いこともあったけど、そればっかりじゃない。』
お話を伺っていると、海岸沿いに低空飛行するヘリがあらわれました。行方不明者の捜索ヘリだとのこと
『水の中の捜索はまだまだ続いている。10日前も、水没した車の中からおばあさんと孫が見つかった。車があるのはわかっていたが、その中にいるとは思わなかったと。まだまだ、とても復興なんかじゃないんだ。』
■かろうじて残った船で、漁師たちがやっと沖に出られるようになった時、以前なら、なにがしかの明かりがあって陸地の方向がわかったものの、今はひとつの明かりもなく真っ暗なため帰る方向がわからず、陸地が見える時間になるまで海の上で待つしかなかったと言います。
正式な灯台となると、建設には基準も必要ですぐというわけにはいきません。しかしせめて陸の方向がわかる目印としての明かりを、早急になんとかしたいということで、つながり・ぬくもりプロジェクトではソーラーパネルによる街灯を3基設置することを予定しています。(※2011年11月20日設置が完了しました。詳しくはこちら)
■尾崎地区の一番奥に、小さな造船所がありました。
浸水したままの建物の中には作りかけの和船。
このサイズの船を作れるところはこの地域にここしかなく、尾崎の漁師がここで漁を続けていけるかどうかは、この造船所の再建が鍵となります。
地盤沈下の修正の見積もりをしたばかりでまだまだこれから、とのことですが、つながり・ぬくもりプロジェクトでは造船所の施設電源としてソーラーパネル支援を予定しています(10月現在)
>>その1【尾崎地区】
その2【石巻・気仙沼編】
その3【大船渡編】
その4【陸前高田編】
その5【住田町編】